REPORT レポート

「赤れんが博物館30周年 記念シンポジウム🧱」ジャズピアニスト山下洋輔さんの演奏を満喫🎹

海に面した京都府舞鶴市には、旧海軍が建てた多くの赤れんが建造物が残り、まちづくりや観光に生かされています。そのうちの一つ、赤れんが博物館は1993年11月6日に誕生しました。開館30周年を迎えた今年、11月3日には特別展が始まり、19日には世界的ジャズピアニストの山下洋輔さん(81)を招いた記念シンポジウムも開かれましたので、出かけてみました。

舞鶴市役所の近くにある赤れんが博物館は、日露戦争が始まる前年の1903年に建てられた魚雷倉庫を市が改修してオープンしました。市内の他の赤れんが倉庫は、れんがの長手(長い面)だけの段と小口(短い面)だけの段を交互に積む「イギリス積み」で建てられていますが、赤れんが博物館だけは1段の中で長手と小口を交互に並べる「フランス積み」が施されています。

博物館は「フランス積み」で建てられている

れんがに特化した唯一無二の博物館と言われ、世界各国から集めた収蔵品は現在約2200点にも上ります。今回の特別展「舞鶴赤れんが物語」は、これまで年に2回ほど開いてきた数々の企画展を振り返り、30年の軌跡をたどる内容です。

1995年に開催された「ガウディのれんが」。特別展では、スペインの建築家アントニ・ガウディが設計した世界遺産「カサ・ミラ」などのれんが3点が展示されています。一般的なものよりかなり平らな形で、建材一つのデザインにもこだわる巨匠の熱意がよく伝わってきます。

世界遺産「カサ・ミラ」などに使われた平らなれんが

中国では、れんがなど土を固めて焼いたものを「塼(せん)」と呼びます。2002年に催された「中国のれんがと建築」に関するコーナーでは、鶴が浮き彫りにされた元時代(1271~1368年)の塼に目が引き付けられました。仏塔の装飾に用いられていたそうです。万里の長城に使われた塼を加工したすずりも出品されています。

中国のれんが「塼」の展示と矢野さん。手前のものには鶴が浮き彫りにされている

特別展を案内してくれた学芸員の矢野江美子さん(58)に「れんがは職人が片手に持って積み上げていく作業をするので、国によって大きさが違います」と教わりました。会場を見て回ると、体格のいい人が多いロシアのれんがは日本のものに比べ、一回りは大ぶりです。れんがにはその国で暮らす人々の特徴も反映されていると思うと、より関心が深まりました。

開館10周年を記念した「舞鶴のれんがと建築」は、2003年に開催されました。特別展には、太平洋戦争末期に舞鶴市内に作られた倉梯山(くらはしやま)防空砲台のれんがが出品されていますが、他のものに比べて白いのが特徴です。セメントを混ぜ、焼かずに作ったらしく、物資や燃料が不足していた当時の事情が伝わってきます。

会場には、博物館で以前販売されていたオリジナルグッズも並べられています。れんが形の貯金箱や時計は本物のれんがと同じ大きさで、とても人気があったようです。また買った人が何に使ったのか分かりませんが、ミニれんがも売られていたようです。開館に向けた動きを伝えた当時の市の広報紙もパネル展示されていて、博物館の誕生に対する地元の期待がよく表れています。

オリジナルグッズとして販売されていた貯金箱(右奥)や時計(左奥)

多彩な展示で赤れんが博物館の足跡を紹介する特別展は、来年2月25日まで開かれています。矢野さんは「普段展示していない珍しいれんがもたくさん出ています。訪れた人たちには、れんがの歴史や魅力を感じ、博物館の30年間について知ってもらえたらと思います」と来訪を呼びかけています。

シンポジウムは「煉瓦(れんが)とジャズと山下洋輔」と題され、赤れんが博物館に近い舞鶴赤れんがパーク2号棟で行われました。第1部では、赤れんが倉庫群で1991年から2010年まで開催された「舞鶴赤煉瓦ジャズ祭」に初回を含め計7回出演した山下さんと、市職員や市民グループ「赤煉瓦倶楽部(くらぶ)舞鶴」のリーダとして赤れんがのまちづくりをけん引してきた馬場英男さん(78)が対談しました。

シンポジウムが開かれた舞鶴赤れんがパーク

7年ぶりに会った2人は、冒頭に固い握手を交わします。まず山下さんにジャズ祭への出演を依頼した馬場さんがいきさつについて説明。1990年11月27日、福井県小浜市でのコンサート終了後に山下さんの楽屋を訪れ、舞鶴にある赤れんが建造物のマップを見せて「舞鶴でコンサートをしてほしい」と熱く語ったそうです。

対談の冒頭で握手する山下さん(左)と馬場さん

続いてマイクを握った山下さんは、祖父の啓次郎さんが司法省(現法務省)で営繕を担当し、赤れんがを多く用いた明治時代の五大監獄を設計したと語ります。欧米との不平等条約を改正するため、「文明国の証」となる近代的な監獄が必要でした。そんな祖父の足跡を調べて小説「ドバラダ門」も著した山下さんは、赤れんがとの縁を感じていたといい「(馬場さんから)赤れんがの中でやると聞いて、一も二も無く承知しました」と出演が決まった当時を振り返りました。山下さんが出演するとなって、舞鶴赤煉瓦ジャズ祭は絶好のスタートを切ることができました。

写真左=赤れんがとの縁を語る山下さん 写真右=山下さんとの出会いを振り返る馬場さん

第2部では、いよいよ山下さんがピアノ演奏を披露しました。「Communication(コミュニケーション)」や、れんがをテーマにした「ブリック・ブロック」、ジャズの名曲「チュニジアの夜」などを力強い鍵盤さばきで奏でます。合間のトークでは「赤れんが建築の中でピアノを弾く日が来るとは思わなかった。特別な日です」との感慨も。演目が進むにつれて演奏は熱を帯び、山下さんの代名詞「ひじ打ち奏法」も飛び出します。フリージャズの名手は会場の市民約150人を魅了しました。

迫力ある演奏を披露した山下さん。名手が奏でる音色に会場が沸いた
退場時に市民とハイタッチする山下さん

赤れんがのまち・舞鶴の歴史は節目を祝う「ハレの日」を経て、さらに高く高く積み上がっていくことでしょう。