REPORT レポート

一日で造られた仏像!? 日本最古の一日造立仏を展示💡 「乙訓寺 重要文化財特別公開」に行ってきました⁽⁽ ⸜( ˙꒳ ˙ )⸝ ⁾⁾

聖徳太子が建立したと伝わる古刹(こさつ)、京都府長岡京市の乙訓寺。乙訓寺では現在、国の重要文化財である2体の仏像が特別に公開されています。うち1体は、全国に3体しかない貴重な仏像の一つだということが、最近分かったそうです。長い歴史のあるお寺の仏像の由来が、なぜ判明したのでしょうか。急に寒さが深まった11月13日、乙訓寺を訪れました。

阪急長岡天神駅から車で5分ほどの住宅街にある乙訓寺は春、境内に約30種1000株のボタンが咲く「牡丹寺」として地域の人に親しまれています。かつて、真言宗の開祖、空海が寺務を統括する別当を務めていました。その空海が、天台宗の開祖、最澄と初めて出会った舞台が乙訓寺です。ともに密教を学んで中国から帰国した2人が、密教についての法論を交わしたと記録が残っています。

空海ゆかりの寺 乙訓寺  

そんな歴史ロマンが詰まったお寺で、まずは奥の方にある毘沙門堂を訪れました。別名「幽愁(ゆうしゅう)の毘沙門天」とも呼ばれる「毘沙門天立像(りゅうぞう)」が安置されています。お堂の中は五色幕や葵の文様の幕で装飾され、さらにその奥に毘沙門天立像の姿が見えました。なかなか目にする機会の無い重要文化財の仏像が目前に現れたことに不思議な感覚を抱きながらも、どこかワクワクする気持ちがありました。

「幽愁の毘沙門天」こと毘沙門天立像

毘沙門天立像の最大の特徴はその表情。「武神」とされる毘沙門天像は通常、精悍(せいかん)で勇ましく恐ろしい顔つきをしていることが多いそうですが、こちらの毘沙門天立像は穏やかな顔つきをしています。何かを憂うような表情で眉をひそめており、恐ろしさは感じられません。高さ101センチのシルエットはぽっちゃりとしており、足元の邪鬼を踏みつけるその力加減にも、他の毘沙門天像との違いがみられます。まさに「幽愁の毘沙門天」という異名にぴったりの姿でした。

写真左=穏やかな表情を浮かべている毘沙門天立像 写真右=邪鬼もどこかおどけるような表情で、毘沙門天立が踏みつける力も弱そう

毘沙門天立像は令和4年度に行われた保存修理後、初めて公開されています。修復以前より彩色の美しさや、金箔(きんぱく)で飾った截金(きりかね)の文様が良好な状態で残っていることが評価されてきました。しかし前回の修理から90年が過ぎ、彩色のひび割れや部分的な剝落などが起こっていました。  

今回の修理では、主に傷みがひどかった背中の部分や彩色の浮き上がりを修復し、造立当初の鮮やかな文様をよみがえらせました。また、この修理に合わせて毘沙門天立像が祭られているお堂自体も修復され、より良い状態を保てるよう注意が払われたそうです。  

場所は変わって本堂へ足を運ぶと、ご本尊の右隣で「十一面観音立像」がお出迎え。この像は乙訓寺が再興された際に、奈良市にある秋篠寺(あきしのでら)から移されました。高さ181センチで、先ほどの毘沙門天立像と比べるとサイズも大きく、迫力があります。こちらの十一面観音立像は、今年6月に国の重要文化財として指定されたばかりです。なぜ、重要文化財として指定されたかというと…そこには驚きの発見がありました。

乙訓寺の本堂

十一面観音立像は、つえのような法具、錫杖(しゃくじょう)を右手に持つ「長谷寺式十一面観音」で、鎌倉時代末期に造立された優品として評価されてきました。しかし、経年劣化によって像の継ぎ目にゆるみが生じていたり、台の部分が傷んでいたことから部分解体修理が行われることになりました。

解体が進むと、寄せ木造りの像の中から大量の古文書が見つかりました。古文書からは、この像が「文永5年(西暦1268年)7月17日から18日にかけて1日で造られた」という記述が発見され、この像が一日造立仏であることが判明したのだそうです。

一日造立仏は他にもいくつか造られているとされていますが、解体修理をして像の中に納められた古文書などがないとはっきりとしたことは分かりません。全国で見つかったのはこれが3例目。古文書の記述から、この十一面観音立像が現存最古の一日造立仏だと判明しました。

現存最古の一日造立仏だと判明した十一面観音立像

一日造立仏だと判明したことによって何か変化はあったのでしょうか。川俣海雲住職(52)にお話を聞いてみると、「ルーツがはっきりと分かった不思議な安心感があります」とのこと。秋篠寺から移されたことは像の背中にも記されていますが、秋篠寺には記録が残っていないそうで、歴史を語る点においても大きな発見であったことが分かりました。

また、古文書には寄進の証しとして、さまざまな人の名前が記されていたことも分かっています。中には子どもや女性の名前も記されていて、「十一面観音立像は(人々の)祈りを体現しておられることをより感じるようになりました」とも話していました。

仏像内から発見された古文書はこれから約3年間にわたって修理が行われます。これから、よりさまざまな情報が分かるかもしれない、と考えると長い歴史の重みとロマンを感じました。

川俣住職は「仏像は文化財や美術品という観点から語られることも多くありますが、その一方でやはり『人々の祈りの対象』であり、『信仰の一環』だということを感じてほしい」仏像の魅力を語ってくれました。さまざまな援助の中で修復がなされたことに責任を感じ、広く伝えていくため今回の特別公開へとつながったそうです。

特別公開という「ハレの日」を迎えた2体の仏像に、皆さんも会いにいってみてはいかがでしょうか。特別公開は12月3日までです。

【特集】文化庁京都移転記念事業特集|京都新聞 (kyoto-np.co.jp)